Write to think

- ある題材について書くことは,それについて知る最良の手段である - (Gerald M. Weinberg)

なぜ戦争を学ぶのか?

日本では「戦争を学ぶ」というと、ほとんどそれは「戦争の悲惨さを学ぶ」と同義になっているように思う。これは学校教育も、テレビなどから伝わる情報も同じだ。しかし本当はこれだけではいけない。悲惨さしか知らなければ、それを盲目的に避けることしか考えられなくなるからだ。

 

「それでいいではないか」という人もいるだろう。たしかに、もし現在世界のどこにも戦争がなく、今後もいかなる国も戦争という手段を択ばないとすればそれでも良いかもしれない。しかし現状は言うまでもなく、今も世界のあちこちで戦争は起こり、大国も武力を持ちけん制し合っている。世界がこうある以上は、「戦争」というものを「悲惨で愚かな行為」とだけ捉えるのではなく、「なぜ戦争というものが起きるのか」について感情論を脇に置いて考えなくてはならない。

 

 

まず考えるべきことは、「なぜ戦争を選んだのか?」ということだ。もう少し言うと、「戦争をすれば多くの犠牲が出ることを分かっていながら、それでも戦争に踏み切るのはなぜなのか?」である。教科書的に学んできたことで、戦争に至るまでの出来事の流れは知っているつもりであるが、国家指導者がどんな気持ちで、何を思って戦争に踏み切ったかについては語られない。そもそも今の先生方も、そうしたことを考えさせられる教育を受けていないのだろう。

 

学ぶべきは、「何を思って戦争に臨んだのか」「悲惨な戦争を覚悟してまで実現しようとしたこと、守ろうとしたものは何だったのか」である。それほどまでに強く思ったもの、正義としたことの中に日本という国の本質がある。

 

日本の精神の中心にあったのは神道である。それが戦争中にアメリカの脅威となった。だからこそ戦後の占領政策で、教育改革を行い、歴史教育や道徳教育を作り変えて神道含め日本精神・思想というものを消してしまった。だから僕たちは、戦争に臨んだ日本の正義というものを教えられずに育った。それが、この国のアイデンティティの喪失の始まりである。

 

戦争を通じて学ぶべきは、その国の国家観、思想の根幹である。8月になるとまた、戦争関係のテレビや本が出ることだろうが、主体的に疑問を持って見てみたい。