Write to think

- ある題材について書くことは,それについて知る最良の手段である - (Gerald M. Weinberg)

合格発表を見て、大学にいることの価値を思う

今日、大学入試の合格発表が行われていた。

多くの受験生(と部活・サークルの勧誘の学生、住宅斡旋のスタッフ)が集まり、笑ったり泣いたりしていた。

自分の入試から早5年。懐かしさと、これまでの自分の大学生活5年間と、今大学にいる間にやりたいことと、おもむろに頭に浮かぶ。そして新入生には大学生活を最大限に価値あるものにしてもらいたいと強く思った。

 

ところで、どう過ごすのが「最大限に価値のある大学生活」なのか?

 

そこで自分の残りの大学生活の過ごし方のためにもなるので、(誰からも求められてないが)新入生に語りかけるつもりで考えてみようと思う。(新入生は、高校を卒業してからいわゆる社会人となる前の20歳前後の人を想定する)

 

まず初めに、大学生活の有無による違いは何かを考えてみる。

「大学生という立場」「20歳前後に大学生として過ごせる4年間+α」「卒業証書」「大学教員による授業やゼミへの自由な参加」といったものか。

人によっては「自由な時間」や「部・サークル活動」などを挙げる人もいるだろうが、「自由な時間」は定義があいまいであり、いわゆる社会人の中にも非常に自由に時間を使って過ごしている人はいるのでここでは除く。「部・サークル活動」も高校までにもあり、また社会人になってからも探せばいろいろあるので除くことにする。

 

さて、では一つずつ見ていってみる。

①「大学生という立場」

大学生という立場で可能になることは何があるか。

 ・大学生を対象にした活動への参加

 ・交通費や施設利用料、飲食店等での学割

 ・大学の施設、サービスの利用

 ・インターンシップ等の職業体験

 ・交換留学

他にも挙げられそうだがこれくらいにしておく。

 

②「20歳前後に大学生として過ごせる4年間+α」

ここにはキーワードが2つ、「20歳前後」「大学生として過ごせる4年間」である。

「20歳前後」とはどんな時期か。

 ・一通りの義務教育+高校3年間を経て、世界観が「学校」という狭い場から「社会、国、世界」という広い場に変わる

 ・これからの人生をどんなふうに生きていきたいかを考え始める(哲学をし始める)

 ・成人式があるように、徐々に親の手を離れ自立を意識し始める

そしてこのような時期に「大学生として過ごせる4年間がある」とは

 ・視野が広がり、社会や世界に目を向け、そこに何があるのか、どんなことが起きているのかを客観的に広く眺めることができる

 ・上記のことをしながら、自分は何をしたいのか、この社会の中でどうありたいか、仕事をするとは何か、どのような人生を生きたいか、そもそも人生とは何かなどを、さまざまな責任に追われることなく自由にじっくりと考えることができる

 ・すなわち自分なりの哲学を形成し始める(完成ではない)

 ・これらを大学生という立場でできる

 

③「卒業証書」

これはどんな意味があるだろうか。

 ・大学を卒業したという証明、および大学院への入学の権利

 ・出身大学名によって相手が受け取るイメージ(それがどう働くかはcase by case)

 

④「大学教員が担当する授業やゼミへの自由な参加」

市民講座のような一般向け講義もあるが、何の気兼ねも制約もなく授業やゼミに参加できるというのは学生の特権である。

 ・大学教員の培ってきた知識・経験・哲学・世界観などに触れることができる

 ・「知」そのものを目的とした議論とそれができる仲間

 ・興味を持った事柄について、その分野の専門家・プロフェッショナル(物知りとは次元が異なる)に話を聞いたり聞いてもらったりできる

 

 

以上を振り返ってみると、③の卒業証書に関しては資格のようなものであり、またどのように過ごしても卒業しさえすれば得られるものなので、意義はそれほど大きくないように思う。

重要なのは①、②、④。このうち①および④は大学生活で何をするかという「行動」の領域である。また②は思想・哲学・価値観など「あり方」の領域と考えられる。

したがって、大学生活における価値を最大化するためには「行動」と「あり方」という二つの観点から考えることが必要である。そしてこれらは二つの独立したものではなく、相互に影響し合っている。相関している。

思想・哲学・価値観といった「あり方」は「行動」に作用し、また「行動」はそれに伴う経験により「あり方」に作用する。

そこで、まずは自分の思想や哲学、価値観を形成していくということを強く意識することから初めて見てほしいと思う。なぜなら、最終的に大学生活が「価値があったか」は価値観に照らして判定されるからである。

その判定には絶対的なものさしがなければ、他者との相対的なものさしもない。あるのは自分の価値観であり、思想・哲学である。人生観、死生観といってもいいかもしれない。

ここで僕が言っているのは、まず先に思想・哲学・価値観をつくってから云々ということではない。これらを形成していくのだという意識を持つ、ということだ。

ちょっと立ち止まって考えて見出せるものではないと思うし、また常々変化していってよいものだと思う。

 

大切なのは、思想・哲学・価値観を形成するという意識を持つことによって、日々の自分の行動を真剣に選択することができるということにある。周りの雰囲気に(自覚なしで)飲まれるのでなく、本当の意味で自分自身で行動を選択することができる。そうした自覚ある行動、責任ある行動は必ず自分のあり方に作用し、次の行動につながる。

その行動は人それぞれなんでもよいと思う。自分の専門に没頭するもよし。幅広く学問の世界を味わうもよし。読書にふけるもよし。学内外問わず人と関わり、さまざまな活動を経験するもよし。スポーツや芸術など文化的経験を積むもよし。

何を経験してきたとしても、本気で打ち込んだものであれば、後々の人生で何らかの形で活きてくるのではないか。スティーブ・ジョブズが"connecting dots"と言ったように。

そうした日々を送ってほしい。シューカツの時期になってエントリーシートを書くために短期間で自分をつくってみる、というようなことはしてほしくない。

卒業するころには入学時とは全く違うレベルで思想・哲学・価値観を形成し、それを裏付ける行動の経験を持っていてほしい。当然これは卒業がゴールではなく、人生を通して続けていくことになろう。主体的な人生を生きていくために、大学時代にこのような習慣、生き方を身に着けておくことが重要であると思う。