Write to think

- ある題材について書くことは,それについて知る最良の手段である - (Gerald M. Weinberg)

プロの自覚と責任感を持とう

プロフェッショナルとして仕事をしているか。仕事をしてお金をいただくからには、相手に確実に、期待以上の価値を提供しなくてはならない。引き受けるからには、できないというわけにはいかない。プロフェッショナルとして責任をもって成し遂げる必要がある。
 
そのためには、確実に高いレベルのパフォーマンスを発揮できるだけの確かな能力が必要だ。一朝一夕に身につくものではない。毎日のたゆまぬ努力が求められる。
 
僕はいま会社のディスクロージャー、IR、PR、業績管理を主に担当している。上場企業としていずれも非常に重要な役割であるが、まずは絶対に失敗の許されないディスクロージャー実務について、プロフェッショナルであるべく努力をしていこう。
 
資格試験で言えば、財務報告実務検定がある。何度かチャレンジしているが、いまだにStandardに届いていない。プロフェッショナルというからには、Advancedまで欲しいところだ。そのつもりで勉強しよう。
 
また自分がプロフェッショナルとしての能力と気概を備えていることは、組織の周囲に対しても好影響を与えると考えられる。特に後輩にとって、組織内での良いロールモデルになることができる。するとプロフェッショナルになるという自覚と責任感を持って仕事に取り組む人が増える。結果的に、組織は強くなり、成果もあがる。
 
いま僕の周囲には、残念ながらプロ意識を感じられる人はほぼいない。ロールモデルにならない。大学時代の方が、ロールモデルとなりうる格好いい大人にたくさん出会った。またそうした人たちの影響を受け、めきめきと成長する同世代もたくさんいた。その環境が、自分のモチベーションとなった。
 
いま、自分で意識的にプロフェッショナルとなるべく努力しなければならない。また仕事とは直接的に関係のない場にも出向き、ビジネス、アカデミア、スポーツ、アートなど、さまざまな業界でプロフェッショナルに出会うようにしていくべきだ。
 
僕はやはり世界のプロフェッショナルたちと一緒に仕事をしたい。その方が、より大きな価値を社会に生み出せるからだ。だからまず、自分がプロフェッショナルとして生きなければならない。

子どもに夢を与える仕事を

「子どもたちに夢を与えられる選手になりたい」ースポーツ選手の入団会見でたびたび聞かれる言葉だ。
以前は正直言って、ありきたりな表現だと感じていた。しかし自分に子どもが生まれてみると、自分の仕事を見て子どもがあこがれを抱き、夢をもってくれたら、こんなに素晴らしいことはないと思うようになった。
 
自分の仕事について、胸を張って子どもに語ることができる、そんな仕事をしていたい。企業というのは、社会に何らかの価値を提供することを使命とする。そして企業トップは、社員がその価値を家族に語れるように、企業の使命、ビジョン、ストーリーを語らなければならない。
 
企業が社会に対して何を与えているのか、どのように役に立っているのか。それがわかることが、社員に働きがいを与えることになる。

忙しいときこそ周到な準備を

今週は仕事がうまく進んでいない感覚がある。新たな同僚が加わって引き継ぎをしたり、役員からの緊急かつ重要な仕事に対応したり、突然込み入った仕事が発生したりと、仕事のペースがつかめなくなっている。そして毎日帰りが遅く、翌日の準備が不十分になりがちだ。
 
これではダメだ。まずは仕事の準備に真剣に取り組まなければいけない。忙しいからこそ、しっかりと準備の時間をとってから会社に入るようにすべきだ。
 
To-Doリストでは、リスティングをするだけでは足りない。その中でもマストなもの、午前中に仕上げる必要があるものなど、順位づけをしておく必要がある。仕事中、一つを終えたときに次にやることを考えるようではダメだ。切れ目なく、瞬時に切り替えて全力で仕上げる、という状態であり続けるようにしなければならない。
 
生産性を下げる要因の一つに、仕事中の「迷い」がある。次に何をするかで迷う。電話をすべきか迷う。そういった小さな迷いの積み重ねが、生産性の向上を阻害することになる。
 
迷いをなくすこと。それは、心に決めてすぐにできるものではない。決断も重要だが、その前にしっかりとした準備、仕事の順序づけを自分の中で明確にしておくことが決定的となる。

校閲ガールに見るプロの仕事

テレビドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」が面白い。我が家では普段あまりテレビを見ないが、妻がこの「ドラマは面白い!」と夢中になっていて、僕も時間があるときは一緒に見ている。
テレビ番組特有の"ドラマティック"な展開も魅力の一つだが、校閲者の(多少盛られているだろう)プロフェッショナリズムから感じることも多い。世に出す作品の完成度を高めるために、とことんゲラの意味と向き合い、その適当さ、正確さを追求する姿勢には、ある種あこがれを感じる。
 
翻って僕の今の仕事の仕方は、まずは多量の仕事を限られた時間内にいかに効率良くこなすかが最重要事項となっている。次いで、業績管理やコーポレートコミュニケーションに責任を持つ組織として、経営の立場と現場の立場との間でうまく立ち回り、適時的確な経営判断に貢献しつつ、事業推進を応援することを考えている。しかし、このプロセスに自分の目標やこだわりはほとんど入っていない。仕事に魂がこもっていない。それでは面白くない。
 
自分はどこにこだわりをもって仕事をするか。何のプロフェッショナルとして生きるか。情熱を傾けるほどに、仕事は面白くなる。

経営企画室は経営者の観点で

「経営者になったつもりで考えよ。」
本などで良く目にするフレーズだ。そのときはわかっているつもりになる。しかし、日々の業務のなかで実際にそのようにできているかと言えば、残念ながらそうではないと気が付いた。
 
たとえば経営会議前に資料のとりまとめをする際、各事業部の計画に対する進捗状況を確認する。当然差異もでてくるわけだが、その要因を資料から読み取ったり、担当部門に確認して把握する。そのとき、誰の目線で状況を理解していくかが重要だ。
 
今までを振り返ると、自分がやっているのはあくまで取りまとめの担当者として資料の必要項目を埋めることだけだった。しかし本来考えるべきは、進捗状況を把握して今期の計画に対してどのように事が運んでいくかだ。異常事態がない限り順調に計画を達成できそうなのか、既に遅れが顕在化していてリカバリー策が取られている必要があるのか、あるいは一見問題ないようだが実は今後に大きな不安要素を孕んでいるのか。
 
状況によっては新たな管理指標が必要になるかもしれない。その観点は、正しく経営するためにいま何を知るべきか。これが、経営者のつもりで考えて行動するということだ。
 
経営企画室は経営者の判断をサポートすることがその役割だ。したがって自分が経営者だったら、この状況で何をどう読み取るか、他に何が必要かを常に考えていなければならない。

評価の評価

人事考課を終えたが、評価方法には納得感が低い。期初に立てた目標に対して実績を評価するのだが、期中にあった人事異動などのために状況が変わり、仕事の負荷が非常に大きくなった。求められる役割も広がった。そんな中では、期初に目標どおりに行動することが現実的に困難な状況になった。
 
期初に設定した目標に対して実績を評価する。シンプルで普通のことのように思える。また目標を設定する時点で、評価をなるべく公平に客観的に行うためという理由で、定量的に測定できる目標を設定する。これも一見合理的なように感じられる。
 
しかし、ともすれば評価しやすいことが目的化した目標設定になりかねない。それが会社の目標や重要な事項に一貫していなければ、仕事で優先するよう求められることと個人の目標のベクトルが食い違うことになる。日々においては当然仕事上で重要なことを優先する。もしそこで、自身の評価基準を優先し、求められる仕事は自分の評価に直結しないという理由で後回しにすれば、会社にとっては悪影響だ。個人の評価を極大化させることが、全体最適に一貫しなければならない。また期中に会社や部署の状況が変わることはよくあることだ。そうすると、個人に求められる役割も変化してくる。しかし期初に立てた目標が硬直的であれば、期中に生まれてきた新たな役割に対応してベクトルを変更した個人が、評価の際に期初の目標とは違った方向に進んでいることになる。すると、評価基準を柔軟に変更しなければ、組織に対しての貢献が評価されず、不公平感を感じるだろう。
 
したがって、個人の人事評価方法は組織および企業の成果や方針と一貫していなければならない。また、個人が公平で正当な評価方法であると納得できるものでなければならない。
 
このような評価方法を構築するためには、とにかく実験を重ねるしかない。現行の評価制度を評価し、進化させる。人事部だけが評価するのではいけない。部署が変われば状況も変わる。その評価制度の中に置かれる者すべてに評価する権利があり、幅広く意見を集めなければならない。
 
完全な制度はない。なぜなら、実験を重ねて進化していく間に、人も環境も変わるからだ。それでも最善を追求しなければならない。組織は人なり。人のパフォーマンスが組織の成果を形作る。人が最高のパフォーマンスを発揮し、成長を続け、チームワーク良く働けるような組織を作るための人事評価制度が必要だ。
 
併せて昇進や外部人材を含めた管理職登用の制度、基準も極めて重要である。管理職がダメだと、部下の士気は上がらない。チームワークも良くならない。管理職は組織のパフォーマンスに責任をもつ。極めて重要な役割である。組織のパフォーマンスを最大化すること、それも自分の部署だけではなく他の部署とも連携し、全体最適を優先できる者でなければならない。その責任を果たさない者に、権限を与えてはならない。
 
今回は人事関係の制度について考えたが、あらゆる制度は全体最適に通じている必要があり、またそのようになっているかを絶えず評価され見直され続けなければならない。

社員と共有すべき社長の世界

経営企画は経営陣の見ている世界を共有しなければならない。そのうえで、何を経営指標として見るべきかを考え、提供し、経営判断を支えることが必要だ。
 
一方、逆の立場で言えば、経営陣は見ている世界、考えていることを一定の頻度で社員に伝えるのが良いのではないか。極秘事項は例外だが、基本的には経営の目を社員とも共有し、社員に課される目標の背景を知ってもらうべきではないか。そうすることで社員は、会社の状況と自分たちの仕事をリンクさせることができる。
 
以上のことは経営陣に限らない。各部署においては部長、課長の世界を課員に伝えるべきだろう。「世界」というと大げさだが、日々会う人も違えば出席する会議体も異なる。当然そこで交わされる会話も異なり、それぞれで得られる情報がある。そうして得る様々な情報を頼りに、できるだけ広い視野で、多角的に会社の状況や進路を判断し、目の前の仕事に反映させていかなければならない。そのような会話がなければ、仕事の意義付けがなされないままに終わる。その伝達は、上位の立場にいる人の当然の責務だろう。同時に、立場的に下位の人も上位の見ている世界を推察するよう努めるべきだろう。
 
上位者からの伝達の手段として、例えばブログが挙げられる。慎重に言葉を選ぶ必要があるが、トップ自らが毎日あるいは週次で社員向けのブログを綴ってはどうか。あまりかしこまりすぎず、人間味のあるシーンや想いを交えながら、トップの生きる世界を描く。対峙する課題を描く。そこに、共感が生まれるかもしれない。
 
こうした取り組みは、社長になってからようやく始めようとしても遅いのかもしれない。一般社員のうちから、日々を振り返り、外部環境を鑑み、自分たちは何をすべきか、どこに向かっていくかを考え、綴っていこう。