Write to think

- ある題材について書くことは,それについて知る最良の手段である - (Gerald M. Weinberg)

長時間労働と組織の生産性

政府主導で日本の長時間労働という慣行に対する規制強化が取り組まれている。他の国と比べて日本人の残業時間が多いことを引き合いに、規制が必要だと言われる。

よく目にするのは、特に必要がないのに周りの人もまだ残っているからダラダラと仕事を続けてしまう、というものだ。
そういうケースも多々あるのだろう。しかし、それだけが理由ではない。少なくとも僕自身や、同じ部署の人は、できる限り早く切り上げたいと思っているが、部署の人数に対して仕事の絶対量が多く、さらに役員へのレポートが必要なことが多く、突発的に生じてかつ優先度を上げざるを得ない仕事も多い。かなりuncontrolableな状態だ。

また報道でよく目にすることとして、他の国と比較して日本人は生産性が低いという意見がある。そしてそれはメリハリがなくダラダラと仕事を続けがちな残業の慣行が原因とも言われる。
僕はこれにはいまいち納得感がない。正しい面もあるのかもしれないが、もう少し踏み込んだ分析が必要だろう。

日本人の個々人が他の国の人に比べて仕事のパフォーマンスが低い、能力が劣っているということではないだろう。決まったルールをある程度しっかりと守り遂行する面では、他の国と比較しても優れているのではないか。

 

僕の考えは、日本人の生産性が低いというのは、単純に個人の生産性、仕事の能力が低いというのではなく、日本人組織の生産性ではないだろうか。あるいは、組織の中に置かれたときの個人のアウトプットが少ないのではないだろうか。

 

ポイントは二つ。組織の文化や構造の問題と、組織の中での個人の振る舞いの問題だ。

 

一つ目の組織の問題として、まず文化的な背景があるだろう。周りとの調和を教育されてきた民族にとって、反対が出ないようにすること、波風を立てないことにかなり縛られる傾向がある。またロジカルに意見の中身を問うより、誰の意見かが強い影響力を持ってしまうきらいもある。
これは文化的にある種美しさを見せることもあれば、もっと効率的に、合理的に物事を正していくべきときに障害になったりもする。こうした文化を反映した組織の制度、例えば年功序列が生じ、そのためもあって労働流動性の低さにつながっていたりもするように見える。

 

二つ目は組織における個人の問題だ。一つ目のポイントとも通じるが、やはり文化的な背景があり、集団の中にあっては自己主張をそれほど活発に、また強くすることは少なく、周りに同調しがちな面がある。今までの慣例がこうだからという理由で、もっと合理的に変えていけるにも関わらず変わらないということが多いだろう。いい考えが浮かんだとしても、それを人に話し、巻き込み、実行していこうとできる人は少ない。また、そんな人が現れたとき、失敗のリスクはあっても成功する可能性を見てその挑戦を応援しようという雰囲気もあまりない。何か違和感を感じたとしても、そこで声を上げて自らリスクと責任を負ってリーダーシップをとっていくことはせず、大人しく周りに同調しておく方が居心地が良いのだ。声を上げるのは居酒屋で愚痴を言うくらいになってしまう。

 

そのままではいけない。組織風土を変えることも含めて、生産性の向上にコミットし、自ら責任を持って声を上げられる、提案しリーダーシップを発揮していけるような人が必要だ。失敗することもある。それを恐れてはいけない。自分の考えで、組織の最終的なパフォーマンスの向上にコミットし、そのためにはやり方を変える方が合理的であると主張し、周りを納得させ、また期待させ、変化への動きを大きくしていけるような力が必要だ。

残業規制に政府が取り組むのとは別に、企業はじめ各組織において本質的に生産性を向上させるために合理的に考え、組織を変えていくことにコミットしていかなければいけない。