Write to think

- ある題材について書くことは,それについて知る最良の手段である - (Gerald M. Weinberg)

【読書録No.1】『羽生善治論:「天才」とは何か』(加藤一二三)

今年初投稿から半年が経ち、ようやく2本目を書こうと思います。これから9月末まで2ヶ月間、なるべく毎日書くつもりです。読書録、新聞記事からの考察、日常の気づきや発見などを題材にします。

書くこと、すなわち考えること。

 

 

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今回は読書録です。

『羽生善治論:「天才」とは何か』(加藤一二三、角川oneテーマ21、2013)

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羽生さんは「秀才型」の天才だという。対するは「対応型」。

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「秀才型」というのは、研究がもはやスタイルになっているタイプのことだ。(中略)きちんと継続的に研究を続け、何があってもそのための時間は絶対に確保しておくようなタイプのことである。(中略)

対して「対応型の天才」とはどういうものかというと、「ここ一番」というときに集中して研究するタイプである。

___(34ページ)

どちらのタイプであっても子どもの頃から徹底的に練習を重ねてきている。天才が努力を重ね、その天才ぶりを磨き上げ、しのぎを削る世界。それがプロフェッショナルの世界なのだと感じる。

天才猶以て努力を積む況や凡才をや。

 

そんな研究熱心な羽生さんの将棋のスタイルは、「王道」なのだそうだ。それでいて「新手を打つ」ことも多いのだという。これを聞いて僕は九谷焼の職人さんの話を思い出した。

 

九谷焼とは石川県の伝統工芸の一つであり、美しい絵付けが特徴的な陶磁器である。その伝統工芸の世界でも、時代とともに職人さんは新たなデザインに挑戦しているそうだ。そのプロセスは「守・破・離」と表現される。

 

将棋の世界も、九谷焼の世界も、一流の人間が新たな創造を行なうときには、この「守・破・離」に従うのではないだろうか。先代から伝わる定石や型には、それが定石であり型であるべき理由や価値があるはずである。その本質に到達し、その先に踏み込んでいく。そうして現われるものが個性であり、新たな価値なのだろう。

 

そしてこれは研究の世界にも通じるように思う。研究も、多くの優秀な研究者による様々な先行研究の成果を踏まえ、新たな課題に挑戦する。しかし先行研究に捉われてしまってはいけない。Critical thinkingを必要とする。過去に積み上げられた叡智を徹底的に学んだ上で、かつ捉われのない心で世界を観察し、有効な問いを立てなければならない。

 

 

 

さて、最後にもう一度本に戻ってみる。

 

僕が本書を読みすすめるなかで最も感じたのは、著者・加藤一二三さんの負けず嫌いさだった。羽生さんの圧倒的な強さおよび人間性を称える一方で、文面から「オレだって負けてないんだぜ!」という想いが滲み出ているように感じた。僕は将棋界に詳しくはないが、確かにこの加藤さんは歴史に残る偉大な棋士であるに違いない。それ程の方が、ご自身よりかなり年下の羽生さんを称えつつも負けず嫌いさが出てしまっているというのが面白い。天才の人間臭さを感じた。

あるいは、この負けず嫌いさこそが、天才を天才足らしめる要因なのかもしれない。況や凡才をや。